痛い話
痛い話
フリーページでも増やしてもうちょっと面白くしようと思ったので自分の痛い話でも載せます(これ以上増えないこと切に祈ります)
骨折編
プロフィールでも触れてあるけど、それは俺が中2のときに起こった。
当時はファイナルダンタジー7が初の3DRPGとしてセンセーショナルなブームを起こした年、1997年
FF7を遊びつくした俺は友達と新たにスケボーに挑戦することにした。ちょっと前からやってる友達がうまくて
悔しかったので1日目かなり練習した。はじめは傾斜30度くらいの坂をすべる練習をして、何回もこけたけどそこそこ滑れるようになった
でも本当に1年分はこけた
2日目
今度はうちの近くの坂で練習しようということになった、そこの坂は傾斜が45度はある。今考えると2日目の初心者が挑戦するには危険である。
でも少年だった俺はみんなと度胸試しをするように挑戦した、それはそれはかかんに。
その日の挑戦内容は45度の傾斜を下ったあと、180度のカーブを曲がりきるというもの。
コースは以下の通り。
3時間が過ぎただろうかすでに度重なる疲労で突かれきっていたけど、ターンは成功していなかったのでがんばっていた、
そして悲劇は起こった。遠心力により曲がりきれず外に投げ飛ばされてしまったのだ、ここまでは今までもよくあったが
このときはそのまま投げ出されごろごろ転がり右手根骨をアスファルトで強打。最後は電柱に激突し瀕死に。痛すぎて何がなんだかわからなかった。
痛すぎた俺は友達に抱えられそばの自宅へ。布団に横になり一人うなされていた、どれくらいの時間が過ぎただろうか・・・友達がもどってきた。
俺の意識はすでに朦朧としていた。友達と自分の手を見るとどす黒く腫れている!!!3cmはもりあがっていた。それをみて呆然とする俺と友達。
そのときおかんがかえってきた、友達がはしっていき「ぼんば~の手が大変なことになっちょる!」と叫んだ、おかんはあわてて俺のとこにきて手を見て冷静に
病院に電話した、都合よく整形外科がすぐそばにありつれていかれた。中学校もそばにありみんなこの整形外科にいっていたので顔なじみ。
しかし本当の恐怖はそこからだった
意識が朦朧とする俺を先生は「あーこれはおれちょるね、レントゲンでみよう」といいレントゲン撮影後
「このようにおれているのでこのような治療を今からします」と母に伝えていた気がする
このような治療とは以下の通り
この骨折してずれている骨を手を引っ張って正常な位置に戻すというのだ。考えただけで激痛だ。折れている場所を思いっきりひっぱるのだ。
無事でいられるはずがない。
俺は混乱状態で診察台に寝かせられて看護婦さんから「大丈夫だからね」などといわれていた、そして麻酔らしき注射を打たれたのだがこれがなぜか全然効かない
意識は混乱しているのだが、神経が興奮していたからだろうか・・・。
2回うったがきかない。
先生はため息をつき、母に
「ちょっと見るにはきつい光景なのでお母さんは外に出ていてください」
とかなりの恐怖発言をした。
母は「いえ、ここにいます」と気丈にいってくれた。
そして時は来た、看護婦さんは2人がかりで俺の体を抑え、先生は俺の折れている右手を力の限りひぱった。
そのときの激痛ときたら今でもぶっちぎりのNo1。恐怖で髪の毛が白くなるとしたらこのときだと思った。きっと拷問もこんなかんじだ。
体中からいろんな液体がでそうだった、実際でてたかもしれない、とりあえず涙とよだれはでた。
いっきに体力を消耗し、意識がほとんどなくなり看護婦さんに抱えられながら病室にいき入院。
本当に死ぬ寸前の痛み。生き地獄。
もう勘弁してほしいと思った。
でもとりあえず次の日も髪は白くなってなかった。
よかった(^-^)v
おしまい